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祖母が死んだ時、孫ができる4つのこと。

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2019年3月17日(日)95歳で祖母が永眠しました。

子供4人、孫10人、そしてひ孫も8人いるおばあちゃんは多くの人に見送られながら天国へと旅立っていきました。

今回は大好きなおばあちゃんを亡くしたことを記録に残しておきたいという気持ちと身内を亡くして今現在悲しみの中にいる方へ向けての励ましと気持ちから留学準備ブログとして運営しているブログではありますが記録させていただきます。

  

◆孫ができること、その1◆ できる限り早く祖母の元へ駆けつける

2019年3月17日のお昼前、妹からの連絡で祖母の訃報を聞きました。日曜日でも出勤している私を気遣い母はまず妹に連絡をしたようでした。その後急いで業務の引き継ぎをしながら航空券のチェックをし早退、自宅へ荷物を取りに帰る電車の中で当日夕方のチケットの予約をしました。

容態の急変や危篤という連絡ではなくすでに亡くなったいる状態ですぐに帰省する必要はないかと思われがちですが残された家族は悲しみに暮れる間も無くやることに追われています。「お通夜に間に合えば、、、葬式だけ出れば、、、」ではなくできる限り早く実家へ駆けつけてあげるのが孫のつとめの1つだと思います。

 

◆孫ができること、その2◆ 祖母の死を受け入れる

身近な人の死はそう簡単に受けいれることができません。

私自身、年末年始に帰省した際に「ばあちゃんはもう年を越すことはできないだろう。これが最後になるはずだ。」と今生の別れをしていましたがそれからたった3ヶ月で別れがくるとは思ってなかったし実家を離れて暮らしているので実感もあまり湧きませんでした。

最後の瞬間を聞くことは死を受け入れるために必要な要素だと感じます。

 

私の祖母は認知症を患い、自宅で転倒したことをきっかけに自力で歩くことが出来ず6年以上前から病院併設の介護老人施設に入所していました。ここ数年は話しかけると「はーい」と答えるだけで人の顔も名前もわからない状態で食事も徐々に普通食から刻み食、ペースト食と変わっていました。

数週間前から食事が食べれずいよいよ点滴で栄養を入れるため施設から病院へ転院。そして、亡くなる3日前には担当医の先生に「今のうちに会わせたい家族がいれば会わせてあげてください」と言われていたようでした。

夫である91歳になる祖父は毎週土曜日に祖母のお見舞いに行くのがルーティーンになっていて3月16日の土曜日も会いにいき、その翌朝4時に危篤の連絡があったそうです。きっとばあちゃんは最後にじいちゃんに会うのも待っていたんだと思います。亡くなる直前も何度も心臓が止まりながらじいちゃんの声を聞くとまた動き出したり「まだ生きたい」というよりは「ありがとう」と言っているような最後だったそうです。

◆孫ができること、その3◆ 親のお手伝いをする

私は訃報を聞いてから6時間ほどで実家へ帰りましたが既にばあちゃんは自宅の部屋で寝ていて葬儀の流れも決まっている状態でした。しかし親達は決めなきゃいけないことが他にも山ほどあり気を抜くことも出来ません。遠縁の親戚も多く来ているので私達が出来ることを率先してやらなければいけません。

  • お茶出し
  • 食事の買い出し
  • 線香の番
  • お通夜や葬式での受付 など。

◆孫ができること、その4◆ 弔辞を読む

孫が10人いる中で、私と妹が一緒に住んでいる内孫ということで私が代表で弔辞を読むことになりました。ばあちゃんとの思い出を振り返るたびに泣きながら一生懸命考え文にまとめました。

例文として載せさせていただきます。

 

ばあちゃん95年の長い人生お疲れ様でした。大好きなばあちゃんとお別れをする日がきてしまいました。いつかはこんな日が来るとは思っていましたが今は本当に寂しいです。

ばあちゃんは甘いものが大好きで、家ではファミコンで遊んだり一緒にヘルシーさんや近所にお散歩に行く日課もありましたね。家族6人でご飯を食べるときは決まって私がばあちゃんの左側に座っていたことを思い出します。

ある時、ばあちゃんが部屋でテレビもつけずぼーっとしている姿を見て「どうしたの?」と私が尋ねると「私がいなくなった後のじいちゃんのことが心配でね。大丈夫やろうかね。」とボソッと一言こぼしました。認知症の症状が進みゆく中自分自身でも歯がゆいことも多い時期にでた言葉だったと思います。「ばあちゃんが長生きすれば問題なかやろ?約束してね!」涙をこらえてそう答えるのが私の精一杯でした。それからしばらくしばあちゃんは施設に入りあっという間に6年の月日が経ちました。

ばあちゃん、長生きしてくれてありがとう。昔のばあちゃんも今のばあちゃんも大好きです。ばあちゃん今までありがとう、これからはゆっくり休んでください。

 

◆初めての葬儀で不安だったこと◆ 喪服/香典/葬儀の流れetc...

幸せなことに、身内が亡くなることが今までになく初めてのお通夜/お葬式を28歳で経験することになりました。そこで今まで不安だったことについて経験から答えられることをご紹介します。

1、喪服持ってないけどどうしよう

お通夜やお葬式に参列する際に必要になってくるのが喪服です。私自身持っていないので「悲しい気持ちのまま買いにいかなきゃいけないの!?」 と不安に思っていましたが、親戚が多いこともあり「これ私のだけど太ってもう入らないから着てみたら?」とおばちゃんからワンピースタイプの喪服を譲り受けました。

葬儀場でもレンタルができる(1着7,000円ほど)そうなので慌てて買わずに親戚や葬儀場に問い合わせてもいいかもしれません。

ちなみに数珠も親がいくつか持っていたので買わずに借りて参列しました。

2、香典っていくら包めばいいのか

香典に関しては葬儀の規模や家族の大きさにもよると思うのですがネットでは孫は1万円ほどという回答が多い中、私達は一律5000円にしました。そして別にお花代を集め祭壇横に胡蝶蘭を2つ飾ってもらいました。

一概に言えませんが葬儀前に必ず顔をあわせると思うので話し合うといいと思います。

3、葬儀の流れってどうなってるの

初めての葬儀で右も左もわからないまま慌ただしく過ぎて行きましたが今回祖母の葬儀は通常とは異なり、仮通夜→出棺→本通夜→火葬→葬儀→初七日→精進落としの流れになりました。

通常亡くなった時間帯によりますが次の日にお通夜をやるところ、お葬式を予定する日が「友引」で行うことができず1日ずらすために仮通夜が入り自宅に和尚さんが来てくださりお経をあげてもらった次の日に出棺を行い葬儀場でさらに本通夜のためのお経をあげてもらいました。そして葬儀の後に火葬をやることが多い中、火葬場の都合上葬儀前に火葬でした。

ばあちゃんの肉体が骨だけになり、骨壷に収まった後のお葬式はなんとも言えず、、、そして初七日の法要までしていただき精進落としとして全員で食事をし解散しました。

 

 孫ができることまとめ

葬儀が終わり2日ほど経って東京に戻ってきましたがその期間も葬儀場への支払いや市役所での手続き、二七日への準備など毎日慌ただしく1週間の帰省中母の手料理を食べることすらできませんでした。

そんな中でもなかなか会えない親戚が集まり思い出話をしたり、残されたじいちゃんのためにみんなが家に集まっている姿を見るとばあちゃんの死は悲かったけど、また家族の絆が深まったのではないかと思いました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。